己こそ己の寄る辺 己をおきて
誰に拠る辺ぞ 良く整えし 己にこそ
真得がたき寄る辺をぞ得ん(法句経一六〇)
自らを灯とし帰依処とせよという仏陀の言葉にもあるように、本来の自己を整えることは、己という人間の生きていく毎日のあたりまえのことであることはあたりまえにわかる。
唯識の目指すところは、人間は人間で有り続けながら、人間の内面の内面へと深く進みながら、現実的に存在する人間としての源の奥深くまでへの道を極め尽くし、人間を捨てずにして、人間を超越していこうというものである。
己こそ己の寄る辺 己をおきて
誰に拠る辺ぞ 良く整えし 己にこそ
真得がたき寄る辺をぞ得ん(法句経一六〇)
自らを灯とし帰依処とせよという仏陀の言葉にもあるように、本来の自己を整えることは、己という人間の生きていく毎日のあたりまえのことであることはあたりまえにわかる。
唯識の目指すところは、人間は人間で有り続けながら、人間の内面の内面へと深く進みながら、現実的に存在する人間としての源の奥深くまでへの道を極め尽くし、人間を捨てずにして、人間を超越していこうというものである。